祈り
- 2011/03/19(Sat) -


   やっとやっと  救援トラックが 走り始めた。
   早く早く     被災地に 水を 食料を お薬を ガソリンを。
   どうか どうか
   せめて 温かい食事と 暖かい寝場所を   あの 我慢強く 崇高な方々に。
 
   そして この先の長い道のりに 踏み出すための 後押しを。
   ひとりひとりは微力でも それを束ねて。
   
   助かったけれどそれがよかったのか悪かったのか  そう つぶやいていたあの方も 
   いつか 心の底からほっとして 泣けますように
   生きていてよかった と

     
   
               

      東京在住弟夫婦の無事は 弟が母にメールを飛ばしたおかげで 早くに確認できた

      その母は 和歌山南部に一人暮らし。 海から徒歩5分。 

      大津波警報 避難指示 高速道路不通 JR停止。

      神戸に居るわたしにそのとき出来たのは 電話することだけ。

      母 避難拒否。 「家に居る!」

      腰に持病のある母いわく 避難所へいけば体調を崩す
                      避難所のあたりは 前の洪水で浸かったところだ(50年ほど前)

      それでも 築50年以上のその平屋建てにいるよりは・・・・。

      ひょっとして 母は 腹を決めてたのだろうか・・・?

      こっちは肝が冷えた 

      南海地震の不安に いまだ 冷えたまま


            
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