手を離すよ
- 2010/01/11(Mon) -
 陣痛に疲弊した私から 命がけで生まれ出た娘

 震災の日 焦土に立ちながらも前を向いていられたのは その手のぬくもりがあったから

 濃い人間関係を厭う私に 抜き差しならぬ関係を迫り

 現在と過去と幾多の想いを 休むことなく つきつけ続けた

 育てるつもりが  なんと大きなエネルギーをもらったことか


 成人 おめでとう


 さぁ 手を 離すよ

   
         

   「母娘バトル」 本日をもって終息

      というより 敗北宣言? 

         

    「母娘バトル」  (2009年神戸新聞文芸入選)


我が娘限定で言わせてもらう。 若さは、バカさだ。 
新型インフルエンザ発生のため休校、即遊ぶ計画を立て始めた十九才大学生。
肌身離さぬ(そのくせ度々紛失する)携帯電話で友人と連絡を取る。三宮? 阪急岡本? どちらも、感染を警戒すべき場所だ。
何のための休校かと問えば、日ごろできないことをするためよと答える。ちなみに日ごろからめいっぱい遊んでいる。
ウィルスを家に持ち込むなと言えば、あたしは絶対うつらないと、何の根拠も対策もなく言い切る。
底なしのバカエネルギーにこちらは消耗しつくし、その隙に娘は脱走した。
「今日だけ、午前中だけ」一見しおらしい言葉を残した。
その場しのぎの嘘だ。暗くなってから《友人宅へ泊まる》とメールが入る。
いつもの手だ。ひどいときは、あえて終電を逃してからメールが入る。
今夜は終電にはまだ間がある。家族をインフルエンザから守らねばならぬ。
バカ娘が媒体となってウィルスを撒き散らしてはいけない。
一男一女の母としても、保護者としての社会的責任からも、もうひとふんばりする。
《いや!とまるの!》 
ここに至って疲れがピークに達し、敗北宣言をメール発信してしまった。
《勝手にしろ!》感情が暴走する。《もう帰って来ない覚悟で泊まれ!自活しろ!》
娘は母の鏡、育てたようにしか育たぬ。家族や周りのことより自分第一、そのエゴイストぶりは私自身の本性。
それをみせつけられたことへの憎悪。突き詰めれば己への嫌悪。
噴き上げた怒りは、刃となってわが身に落ちる。…痛い。

二十年前のあの日も、痛みの中にいた。陣痛は想像以上にきつく、昼夜を越えて続いた。
やっと生まれ出た赤ん坊は、へその緒を幾重にもまきつけていた。泣かなかった。
だが、分娩台で疲労の極みにいながらも、ダメかも知れぬとは一度も思わなかった。
産声を疑わなかった。信じて待った。
震災で母子手帳は焼失してしまったが、そこに記された仮死状態は?だったろうか。
分娩台で感じたよりもずっと長い時間が、書き込まれていた。
首のすわりが遅かった。這うことも、初めの一歩も遅かった。小さな子だった。大病もした。
だが、育った。歩き、走り、笑った。
震災もくぐり抜けた。これ以上求めたら、バチがあたるか。

今、娘はへその緒を切ろうと暴れている。けれど、その翼もくちばしもまだひ弱い。
緒を切ることもできぬうちは、空を飛べまい。
これもまた、産みの痛みか。ならば今一度耐え、信じ、待つとしよう。
気力を奮い立たせて、緒を握ろう。


      

   手を 離すよ

   でも 見守っているから

       。
  
       。

       。

   (ああ 不安・・・)
この記事のURL | 詩 (わたし) | ▲ top
| メイン |