もうひとつの あの日
- 2012/03/11(Sun) -
3月11日

あの日から一年

まだまだ日常を取り戻せない方々が 多くいて……。

どうか 一日も早く おだやかな日々を。

怒りを 怒りとして 出せる日々を。

安心して 涙流せる日を。


子どもが すこやかに育つ国でなきゃ いけない。



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祈り
- 2011/03/19(Sat) -


   やっとやっと  救援トラックが 走り始めた。
   早く早く     被災地に 水を 食料を お薬を ガソリンを。
   どうか どうか
   せめて 温かい食事と 暖かい寝場所を   あの 我慢強く 崇高な方々に。
 
   そして この先の長い道のりに 踏み出すための 後押しを。
   ひとりひとりは微力でも それを束ねて。
   
   助かったけれどそれがよかったのか悪かったのか  そう つぶやいていたあの方も 
   いつか 心の底からほっとして 泣けますように
   生きていてよかった と

     
   
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1月17日
- 2010/01/17(Sun) -
あの日 

死神が かたわらを 走りぬけた

数年は 思い返すのも 恐ろしかった

できるだけ 遠ざかりたかった



あれから 15年 

生きている わたしも わたしの家族も

失いかけた命の愛しさ  

与えられた大切な時間  



生と死を分けたのは いくつかの偶然

二階に居たか  家具の倒れた順序やその位置は  一本の柱が持ちこたえたか否か 火の手は風上か風下か

わずかな違いで 死神にさらわれた人たち

忘れることはできない 

忘れてはいけない と  

毎年の報道に 犠牲者の名を読み 数行分だけその人を知り 遺族の痛みに 涙する



けれど

わたしは

泣きながら その底で 生を かみしめている

涙あふれさせながら 助かった幸運を握りしめる

同情の言葉は差し出しても 幸運を譲ることは決してない

泣いて 癒され 1月17日を 後にする

わたしの涙は 自分のため  


そのことを 嫌悪したり苦悩しているわけでは ない

生き残ったことを 後ろめたく感じているのでも ない

ただ 心にうまく片付かぬものがある という事実 

亡くなった人たちの分まで・・・ という言葉は 今のわたしにとっては 耳障りよく整えられた既成品

既成品で 今日を納めるのは なお鎮魂から遠ざかる




片付かぬ心を 片付かぬまま抱いて 前へ進む

15年目 1月17日 















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1月17日
- 2009/01/21(Wed) -

                            彼の母は 何度 あの日をなぞったことだろう

                            おそらくは 毎日

                            この14年間 毎日

                            彼の母にとって あの日は 昨日



                            ”生”  OR  ”死” 

                            まるで くじのように ばらまかれた あの日

                            当たりくじ つかんだ者は 懸命に 光めざし

                            14年

                         

                            彼女の話に 涙しながらも
                           
                            当たりくじ 譲ることはできないのです

                            
                            
                            ごめんなさい
                            

                            

                            

                                                         
                           
                            
                            
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1月17日
- 2008/01/17(Thu) -
   
  ルミナリエ点灯が カウントダウンのスタート
  クリスマス 正月  正確に減り続け
  
  1月17日 カウント ゼロ
 
  「万が一」 は こんなにも簡単に起きてしまうのだ と
  火の粉舞う夜空の下 両手に幼子の手を握り 立っていた私

  その前を 毛布一枚抱きしめて 通りすぎた人
  互いに 掛け合う言葉もなく 行くあても 立ち止まる必要もなく

  二度と会わぬだろう 名前も知らぬ  あの人とわたしが 
  今 体内で 同じ カウントダウンを 刻む

   
 
  地震 戦争 病 事故 台風  
  おそらく  
  人 みな それぞれのカウンターを抱え
  外からは見えない 秒針をみつめ
  外からは聞こえない 音に震え
  すれ違い 
  出会い
  あいさつを 交わしている
  世界中で
  

  
  カウントゼロ

  こうべをたれ
  あるいは 天をあおぎ
  祈る

  また 秘めて 歩き出す


      
   

  1995年1月18日 震災翌日の神戸
  
  一月の早朝だというのに あたり一面 暖かだった
  
  焼け跡からは まだ煙とも湯気ともつかぬものが立ちのぼり

  一昨日まで暮らしがあったとは想像もできない 黒々とした家々の残骸

  炎は通りをなめつくし 一夜をかけて なにもかにもを 炭に変えた

  誰かが言った

  「ここまで焼けると いっそ 笑うしかないな」
  
  あの時 わたしは笑った  近所の人たちも笑った

  そこにいたのは 家を焼失した人ばかりで 

  でも 誰一人失うことはなかったから だから 笑った

  泣き伏しているひまはない  生き残れ 

  怒り 恐怖 あきらめ 互いへの励まし 言葉にならない思いで 笑った 

  
  知らなかった
  6434人 の命が 奪われたこと




  あれから 13年 

  私は 生きています だから

  
  今日は 黙祷


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